(とりあえず、発表のもとにした原稿を公開します。雑な文章ですが、手直しする気力はもう無いです…。「Г」「Ґ」の表記も会場内至る所で間違いがあり、少し言及したかったのだけど、発表のときは焦っていて忘れてました。また本文最後の一覧表は貼れませんでした。欲しい人いたらあげます。)
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「ウクライナ語の日本語表記 〜現代の地名を中心として〜」
“Транскрипція українських географічних назв засобами японської мови”
2009年3月21日
イワン・フランコ記念リヴィウ大学 平野高志
はじめに
独立以降、ウクライナではウクライナ語が公用語とされ、地名を含めたあらゆる名称がウクライナ語で表記されるようになった。日本でも、それに応じて、日本国外務省や大使館、学術論文、各種マスメディアにおけるものも、次第にウクライナ語に準ずる表記へと移行されてきている。このような傾向は日本では珍しくなく、しばしばいわゆる「現地音主義」と呼ばれるようなより現地の公用語に近い呼び方を採用する傾向があるためである。すなわち、現地の名称が変更するに伴って、日本語地名も変更される例は少なくない。有名なところで挙げれば、インドの「Kolkata(ベンガル語文字表記は筆者が読めないため非掲載)」は2001年の英語的な名称である「Calcutta」から現地の言葉であるベンガル語的な発音のものへと変更され、それに伴い日本の外務省から新聞、ガイドブックに至るまで、「カルカッタ」から「コルカタ」との表記へ変更された。他にもエヴェレストからチョモランマ、エスキモーからイヌイット等の表記変更に関する議論は記憶に新しいところであろう。
今回取り上げるのは主に現代ウクライナの地名である。(より学術的には歴史上の地名についての考察も重要だが、今回は割愛する。)ウクライナ語からの日本語表記には、固有の問題点がいくつかある。ウクライナ語日本語双方の知識に卓越する人材が各機関に非常に少ないことがあり、それらの表記にはかなりのばらつきが見られ、我々日本語教師が現場で教える際の混乱の原因となっている。例えば、「Харків」との地名に対して、現在確認し得る日本語表記は「ハルキウ」「ハルキフ」「ハルキヴ」及び旧来の「ハリコフ」と最低4種は皆様もご覧になったことがあるだろう。ウクライナにおける日本語学習者においては、表記の問題は自らの文化を表現する際における重要な問題であり、あまりに多くの表記例があるのは好ましい状況ではない。解決に向けて、われわれ末端で日本語教育に携わっている教育者間は無論のこと、先端で活躍されている日宇双方の研究者も含めて問題意識を共有する必要があると考えている。本発表では、各機関での表記の使用状況を調査し、主に現代ウクライナの地名を日本語で表記する際の問題点を明確にし、解決に向けた議論形成の一助となり得るような提案を行いたい。
1.各機関での使用状況
(Київ, Львів, Харків, Донецьк, Одеса, Дніпропетровськ, Дніпро, гривняの例)
この項では、各機関でそれぞれの名称がどのように表記されているかを確認する。
1.1.日本国外務省、在ウクライナ日本国大使館での表記
まず日本国の公的機関でどのような表記が用いられているものかを確認する。日本国外務省のウェブサイト、ウクライナの基本データの中で見られる表記は次の通りである。Київ→キエフ、Львів→リビフ、Харків→ハルキフ、Донецьк→ドネツク、Одеса→オデッサ、Дніпропетровськ→ドニプロペトロフスク、Дніпро→ドニエプル、гривня→フリヴニャとなっている。一部、ウクライナ語に準ずる表記が試みられているものが見られるが、ロシア語に準ずる表記が従来のまま用いられている例も多い。
続いて、在ウクライナ日本国大使館のウェブサイトでの使用例を見てみる。主に、概況(基本データ)のページから調べた。 Київ→キエフ, Львів→リヴィウ, Харків→ハリコフ, Донецьк→ドネツク, Одеса→オデッサ, Дніпропетровськ→ドニプロペトロフスク, Дніпро→ドニエプル(ドニプロ)河, гривня→フリヴニャ。ただしこの大使館のウェブサイト上では、「フリヴニャ」をウクライナ週報内では「グリブナ」と表記したり、同様に週報内でハリコフ→ハルキフとの例や、「ボグダン・フメリニツキー」「ボフダン・フメリニツキー」「ボフダン・フメルニツキー」等と表記が複数使われている例が多い。この度、表記が複数使われている件について(主に「フリヴニャ、グリブナ」について)、大使館の担当の方に問い合わせ質問をさせて頂いたが、「政府の発行する官報がグリブナであるため、週報はグリブナを用いている。しかし、その他のところはなるべくウクライナ語に準ずる表記を用いるよう心掛けている」との返事を頂いた。また、外務省でЛьвів→リビフと表記されている件は、新聞メディアが「ヴ」との表記を使わなくなっていることに合わせての表記と考えている。ただし、大使館では「リヴィウ」となっており、現時点では統一はされていない。
1.2.ウクライナ語研究者の論文・書籍(中澤、日野、ウクライナ発行書籍)での表記
次に、各ウクライナ語研究者がどのように表記を用いているかを確認する。日本では社会科学関連の研究はほぼロシア語表現が使われることが現時点での慣用となっているため今回は省略する。今回は言語学者である方の使用例を紹介する。
中澤英彦教授(東京外国語大学)は、今月に白水社より「ニューエクスプレス ウクライナ語」を出版され、久々の日本語による実用的な教科書として期待がされている。また氏は大学では国内でおそらく唯一学生に向けてのウクライナ語の授業を開かれている(筆者が在学中にウクライナ語を学んだ授業でもある)。この度、論文の中身までは確認出来なかったのだが、ウクライナ言語・文化研究会『オスノーヴァ』誌にて発表された論文の題目に「キーウにおけるウクライナ語の現状とノルマ」(2003)とКиїв→キーウとの表記で論文を書かれておられるのを確認している。また氏の白水社から出版された新しい教科書内での表記例を確認したとこ ろКиїв→キーウ, Львів→リヴィウ, Харків→ハルキウ、ハールキウ, Донецьк→ドネチク, Одеса→オデサ, Дніпропетровськ(該当例なし), Дніпро→ドニプロー, гривня→フリブニャ、フリヴニャとなっている。また、Тарас Шевченкоはタラス・シェウチェンコとなっており、中澤教授は子音前の「в」の表記をほぼ一貫して「ウ」とする方針で書かれているようである。
日野貴夫教授(天理大学)はタラス・シェウチェンコ大学のI.ボンダレンコ教授との共著で出された「ウクライナ語のための日本語学習辞典/Українсько-Японський Японсько-Український Словник」(アリテルナティーヴィ、1998)が現時点で最も信頼のおける宇日・日宇辞典として有名であろう。この辞典のp576-579に「Географічні Назви」としてウクライナ語で書かれた国内外の地名を日本語ではどのように表記するかをまとめた項がある。ここでは、 Київ→キーイヴ, Львів→リヴィーヴ, Харків→ハーリキヴ, Донецьк→ドネツク, Одеса→オデーサ, Дніпропетровськ→ドニプロペトロヴスク, Дніпро→ドニプロ, гривня→グリーヴニャ(これは別のところから)と表記されている。ただし、日野教授の論文で同様の表記が使用されているかは未確認である。
また、ウクライナ国内で出版されている書籍についてはまだあまり確認作業が進んでいないが、リヴィウで出版された「Японська в темах/話題!の日本語」ザブランナ・オレスタ、豊福葉子共著での使用例を紹介する。 Київ→キイヴ, Львів→リヴィヴ、リヴィウ, Харків→ハルキヴ, Донецьк→ドネツク, Одеса→オデーサ, Дніпропетровськ該当なし,
Дніпро→ドニープロ(アクセントの位置がおかしい), гривня該当なし、となっている。
また久留米大学の阿部三樹夫教授が、以前駒場東京大学で開かれていた(現在も開かれているのかどうかについてオンラインで確認出来なかった)ウクライナ研究会のウェブサイトのあった場所に、「ウクライナ地名の日本語表記について 」というタイトルでのエッセイを載せておられる。これは研究会の公式見解ではないとのことだが、問題意識を同じくする研究者の記事としてこのたび紹介させていただく。Київ→キーエフ, Львів→リヴィウ, Харків→ハルキフ, Донецьк→ドネーツク, Одеса→オデーサ, Доніпропетровськ→ドニプロペトローフスク, Дніпро→ドニプロー河となっている。阿部氏は文の中で、ウクライナ独立以後の欧米での表記の変遷を紹介し、日本語でも有名な地名は過去のまま用いるとしても、それ以外のものは現地音的に表記すべきとの意見を述べられている。氏もまたただし書きをされているが「有名な」という点での意見は統一的見解を得るのは甚だ難しく、また有名なものだけが例外となるということの不都合が生じる可能性については検討されていない。
1.3.日本国内主要新聞サイトでの表記
続けて、各種新聞メディアでの使用状況を確認する。本来は紙媒体の新聞をあたる必要があるのだが、筆者が調査を始めたのがウクライナに移住してからであり、まだ十分な資料を集めることが出来ていない。この度は、非常に例が少なくなってしまったが、ごく暫定的に各社のオンライン速報ニュースサイトでの表記状況の調査に限って紹介することとする。
朝日新聞社が運営するasahi.comでの使用例は、 Київ→キエフ, Одеса→オデッサ、毎日新聞社の運営する毎日.jpでは、Київ→キエフ, Дніпро→ドニエプル, гривня→フリブナ、読売新聞社のYomiuri Onlineは記事の削除が1週間2週間と早いため、該当データ無し。日本経済新聞社のNikkei Net では、 Київ→キエフ, Львів→リビウ, Донецькドネツク, гривня→フリブナとなっている。
ウクライナ関連の記事が書かれる場合も、どの紙もモスクワの記者が書いており、おそらく主要紙の記者にウクライナ語を理解するものはいないと想像している。ユーシチェンコの表記をユーシェンコとロシア語的に表記する紙が多いのも、それが原因であろう。ただし、通貨に関しては以前使われていた「グリブナ」との表記は最近では見られなくなって来ており、代わって「フリブナ」との表記が散見される。Львів→リビウ、гривня→フリブナと書かれているのは、先に触れたように、現在新聞メディアでは「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」との表記を用いない方針があるためであろう。ただし、その場合も「フリブニャ」の方が適切である。
1.4.ウィキペディアでの表記
ウィキペディア(Wikipedia)とはウィキメディア財団が運営するオンライン百科事典であり、誰でも編集することが出来るのが特徴となっている。誰でも編集出来るため、研究者ではない一般のユーザーが記事を書いている。ただし、だからといって根も葉もない情報が溢れているかというと必ずしもそうとは限らず、ウィキペディアの基本方針の一つに出典がある情報のみの掲載が義務づけられており、出典の見当たらない情報を書き込んだとしても他のユーザー達によってすぐに削除されていく。そのようなユーザー同士の監視による自浄作用が働いていることから、近年では次第にその有効性が認められつつあり、100%信頼出来るとは言えないまでも大まかな情報を調べる際にはウィキペディアを利用する、という状況が世界中で生まれている。今、一般の人々の間で、何か知らない情報について調べる際に、世界で一番利用されているのはウィキペディアと言っても過言ではなく、今後情報の信頼性と利用者の数はますます高くなるだろうとわたしは考えている。それをふまえて、ウィキペディア上でどのような表記がなされているかを確認するのは、重要なことであると考えており、この度紹介させて頂くこととする。
日本語ウィキペディア上でウクライナ語名称の表記は、それぞれ過去に数回の変遷があり(ハリコフ→ハルキウ、リヴィフ→リヴィウ等)、今後出版される信頼のおける出典情報にそって変更される可能性のあるものである。よって執筆現在(2009年3月9日)にアクセスした際の表記について記述する。 Київ→キエフ(ただし注意書きでキエフがロシア語的な表記であること、キーウ、キイウ等のウクライナ語に準ずる表記についての詳しい解説あり), Львів→リヴィウ, Харків→ハルキウ(ハリコフ、ハルキフ), Донецьк→ドネツィク, Одеса→オデッサ(オデーサ、オデサとの表記について注意書きあり), Дніпропетровськ→ドニプロペトロウシク, Дніпро→ドニエプル川, гривня→フリヴニャ、となっている。ウィキペディア上の表記は、基本的には編集の際に、各ページに用意されている「ノート」という議論用のページにおいてユーザー同士の議論の末に決定され、より信頼のおける出典での表記に基づいて変更されるのであるが、先に挙げた様に、公的機関での表記、研究者の用いている表記、および新聞メディアの表記に全く統一性がないために、議論はなかなか深まっていないようである。
ところで、このような議論は、各語ウィキペディアではより盛んに行われており、例えば英語ウィキペディアにおいて「Київ」の英語記事は「Kyiv」か「Kiev」かという議論は、日本語ウィキペディアの議論とは比べ物にならないほどに多くのユーザーが過去何年間に幾度となく行われており、内容を深めている。タイトル変更もまた何度も行われている。これは、英語での情報量の多さと、関心、問題意識を持つユーザーの多さに起因することであろう。日本語ユーザーも見習いたいところである。
1.5. UAJC(Ukraine-Japan Center)での表記
最後に、本カンファレンスを共催されている、 UAJCのウェブサイト上での表記についても確認をしたい。該当ウェブサイトは、ウクライナにおける日本語情報発信では多くの人に信頼されているところである。「ウクライナについて」という概況情報について書かれているページを中心に調べた。Київ→キエフ, Львів→リヴィフ(リボフ)、リヴィウ, Харків→ハリコフ、ハルキウ, Донецьк→ドネツク、ドネーツィク, Одеса→オデッサ, Дніпропетровськ→ドニプロペトロフスク、ドニプロペトローウシク、ドニプロペトローウシィク, Дніпро→ドニエプル川, гривня→フリブニャ、と、どの街に関しても複数の表記が使われている。推測するに、ウェブ編集者が複数おり、それぞれが参照した情報が異なっていたのではいか。他にもムィコラーイィウ、ミコラエフ、ニコラエフ、とロシア語、ウクライナ語表記を混ぜて使っている場合が多い。
2.表記のばらつきにおける問題点
この項では表記のばらつきについて、原因と問題点を考察する。
2.1.ウクライナ語に準ずる表記とロシア語に準ずる表記
まず、各メディアにおける表記において、ウクライナ語に準ずる表記とロシア語に準ずる表記が混在している状況について考察する。このような問題は、現地語による表記が変更された際はしばしば起こるものであり、前述した「カルカッタ→コルカタ」、「エベレスト→チョモランマ」等の場合にも、両者ともある一定期間は両方が併記等の形で使用され、その後公的機関から一般向け旅行用ガイドブックに至るまで各媒体での表記が新しいものに統一され、日本語話者間でも広まっていくというのが常である。ウクライナに関する表記の固有の問題点を挙げるとすれば、独立後にウクライナ語が唯一の公用語化された以降も少なくない数のロシア語話者が存在し、旧来の表記を口頭で用い続けていることと、同様に多くの日本人がウクライナ語を知らずロシア語のみから情報を得ていることが挙げられる。そのことが、新しく生まれたウクライナ語に準ずる表記の用いられる機会を著しく少なくしており、旧来からのロシア語表記との混在する状況を長引かせている。どの地名も最低二つの表記が存在する状況を生んでいる。
2.2.末尾「в」の表記の問題点、「ウ・フ・ヴ」について
問題点はウクライナ語に準ずる日本語表記を作る際の困難さからも生まれている。ロシア語に準ずる表記からウクライナ語に準ずる表記へと移行しつつある地名は多いが、その際に各名称に複数の表記が見られている。各名称のばらつきが生まれる原因の一つに、末尾、及び子音の前での「в」、また「и」「ї」を如何に表記するか、「ー」長音母音を用いるか用いないか等について、各研究者の意見の相違が挙げられよう。今回は末尾の「в」に限定して紹介する。例えば、「Харків」に対する表記に関して「ハルキウ」「ハルキフ」「ハルキヴ」との3つの表記が見られるのは、この問題に起因している。これは、ウクライナ語の末尾の「в」が、末尾で弱く発音され発音記号が「w」となるのを「ウ」と表記するのが適切とする研究と「フ」と表記するのを推奨する研究があること、また単純な転写として「в」→「ヴ」と表記する研究があるためである。ウクライナ語を英語、およびその他ヨーロッパ言語へと転写をする場合には、単純にある一定の転写のルールに従ってアルファベットの表記を転載すれば良い場合が多いのだが、日本語の転載ではしばしば困難が伴う。「ウ、フ、ヴ」に関してはこの度は以下の3種に大別して、ごく簡単にそれぞれの意見の根拠を紹介する。国際音声学会が定めたIPA: International Phonetic Alphabetによると、ウクライナ語の末尾の「в」は発音記号の「w」で表されるとされ、それを日本語で表記する場合に「ウ(wu)」と表記するのが適しているという意見(キーウ、キイウ、リヴィウ、リビウ、ハルキウ等)、および実際に聞いていた時に「フ」と聞こえることが少なくないことから「フ」と表記することが良いという意見(リビフ、ハルキフ等)、また「в」という文字をそのまま「ヴ」と転載する方が良いという意見(キーイヴ、リヴィヴ、ハルキヴ等)、これらが先に紹介した例に当てはまる主なものであろう。実際に、筆者はしばしば母語話者にそれぞれの都市名を発音してもらっているのだが、例えば「Львів」を発音してもらった場合、「リヴィウ」と聞こえるように発音する人と「リヴィフ」と聞こえるように発音する人と、二通りあり、「リヴィウないしはリヴィフと聞こえた」と筆者が答えると「いや違う、リヴィヴだ」と改めて語尾を文字通りに強めて発音される方も少なくない。つまり、ウクライナ母語話者の発音にも個人差があり、日本語母語話者の耳でいうと、どれも間違いとは言えない表記である。これらをどのように表記するかという問題に際しては、専門家間である一定の同意形成をしなければ表記の統一は望めないと考えている。
加えて、首都である「Київ」の表記に関しても考察したい。現時点では、従来から用いられるロシア語的な表記「キエフ」との表記がもっとも一般的であるが、一方で、中澤の「キーウ」、日野の「キーイヴ」とウクライナ語を研究している言語学者からは新たな表記が示されている。その他、散見される表現としては、「キイウ」「キーフ」「キイフ」「キイヴ」などがある。実際には「и」「ї」をどのように日本語で表記するかという問題を含んだ、最も難解な例の一つではあるが(キかクィか、長音母音を用いるか、イと表記するか、等)、もっとも意見が相違している箇所は、上記に挙げたものと同じ、末尾の「в」をどのように表記するかにおけると考えてよいだろう。解決案に関しては次項で少し扱うとするが、旧来からの「キエフ」の表記がすぐさまウクライナ語に準ずる表記に代わることはないであろうが、将来的に統一された代替案を用意する必要はあろう。
2.3.その他の問題点
今回は簡単に紹介するが、その他も表記に関する問題点はある。「в」の文字は子音の前でも末尾と同様に柔らかく「ウ」に近くなることから、例えばドニプロペトロウシク、タラス・シェウチェンコ(中澤)との表記にすべきとの意見がある。また、「и」「ї」の表記をどのようにするか、長音母音は使うか使わないか、新聞メディアで「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」の表記を用いないことから、リヴィウはリビウとすべきかどうか、と今挙げたものが主な論点になろう。この点からすれば、先の末尾の「в」を「ヴ」とするのは、避けた方が良いのではないか(「キーイヴ」であれば「キーイブ」と、「リヴィヴ」は「リビブ」へと変えられかねない)。この度以上の点に関する考察は今回割愛するが、今後表記における一定の同意形成がされなければならない点であることは確かである。
以上、簡単に問題点を紹介した。表記がばらつくことにより各メディアでのウクライナ語に準ずる表記が用いられる機会を逸していることは、大変深刻な問題である。次項で、解決に向けた提案を行いたい。
3.総括、および提案
今回、主に地名を中心に、各媒体でどのように表記されているかを中心に概観した。公的機関、研究者ともに、ウクライナ語に準ずる表記を用いる努力が見られるが、その際の表記には大きなばらつきがある。この度、それらの表記にどれくらいばらつきが見られるか、及びその原因となる問題点までの紹介を時間の許す範囲でごく簡単に試みた。現時点では、ウクライナ語を日本語で表記する際に、公的機関及び研究者間での見解がまったく確立しておらず、それぞれが独自の表記を用いているか、もしくは便宜的に旧来のロシア語的表記を用いているか、という状況であると言えよう。恐らく、日本語教育の現場はその混乱に翻弄され、同校内での教師間ですら教えている表記に大きな相違があるのではないかと考えている。将来的にはこのような問題は解決されるべきであり、現時点でわれわれがどのような対応が取りうるか、次に簡単に考察したい。
まず、これがもっとも困難なことであろうとは思うが、「ウクライナ語をどのように日本語で表記するか」という問題において、日宇研究者間、主に言語学者を中心に、統一見解を発表されることがもっとも好ましいと考える。個人的な印象を述べるのはいささか恐縮ではあるが、日本の研究は「日本語として違和感のない範囲での表記」を心掛けているのに対し、ウクライナの研究では「ウクライナ語に、より忠実な表記」を試みられている様に感じている。これは日本語としての「милозвучний/きれいに聞こえる」(無理のない)表記とウクライナ語母語話者としての原音を大切にした表記との違いであろう。研究者間での意見の相違は当然ではあるが、ある一定の共通の見解がないことで、旧来の表記が便宜的に用いられ続ける状況は、日宇双方の研究においての不幸であろう。議論をもって、1、2個の表記例へと意見を集約し、日宇双方の研究者の署名を伴って、学術的見解として発表をされることが可能であれば、あらゆるメディアに対して表記の統一を求める際の有効な手段になりうるのではないか。その際、紙媒体での発表が最も好ましいが、それ以外にも今回の主催会場であるタラス・シェウチェンコ大学のウェブ上であったり、主催されたUAJCのウェブ上等での発表であったりで、多くの専門家の署名された発表になれば一定の効力を発揮することが出来るものと考えている。それに伴い、ウィキペディアのような出典主義の情報は、専門家の発表があればそれを出典としていずれ変更され、今日それを参照する一般人の数の多さをふまえれば、時間こそかかれ次第に普及していくと予想ができる。またそのような発表を、大使館へ意見書として送ることで、公的な表記に関して一定の要請を願い出ることも可能であろう。ロシア語的地名が主流であるものに関しても、最低限主要な箇所でウクライナ語に準じる表記を併記するように要請することは出来よう。
最後に、我々末端の日本語教育現場での取り扱いであるが、それぞれの地名をどのように書くかにおいては、なるべく公的なもの、もしくは研究者の推奨する表記を用いることが好ましいと考える。未来の専門家である学生達が、将来我々によって教わった名称が研究やニュース等で異なるというケースを極力避けることは教育上の重要な使命である。生活言語としてのロシア語使用地域においては、教師がロシア語を用いている場合も多いであろうが、公的機関や研究者の用いる表記と日常会話での表記が異なる場合、授業の際に極力公式に用いられる表記の例を紹介し、日本語で表記をする際に注意を促すことを心掛ける必要があると考えている。
また僭越ながら、表記一覧表の最後に、筆者ウクライナ地名表記案を掲載させて頂いた。これらは筆者独自の研究ではなく、筆者が中澤教授から教わった通りに末尾を「ウ」と表記する点のみ心掛け、その他専門家の研究を比較調整した結果と考えて頂きたい。確定的なものではなく、言うまでもなく今後の中澤、日野等の日本のウクライナ語学専門家、及びウクライナの日本語専門家の発表を優先するべきではあるが、この表も日本語教師の皆様が教える際の参考にして頂ければと思う。
以上、時間の許す範囲でのごく限定的な紹介をさせていただいた。このような問題は一朝一夕で解決するようなものではないが、より多くの方、それも特に我々のようなウクライナで日本語教育にたずさわる教育者間での問題意識の共有は肝要であろう。無論、筆者がこの度、解決に向けて提案したものが必ずしも最善とは限らず、以降も各々が改善した方法を紹介して頂くことを期待している。以上のような努力を継続的に行えば、現時点で見られている表記の混乱は、時間こそかかれ、次第に解消されていくのではないかと考えている。
表1.各媒体表記一覧、及び筆者宇地名表記案
(表なので貼れません)
わたしが良いと思うのだけ書いておきます。
Київ→キーウ、Львів→リヴィウ、リビウ、Харків→ハルキウ、Донецьк→ドネチク、ドネツィク、Одеса→オデーサ、Дніпропетровськドニプロペトロウシク、Дніпро→ドニプロ、гривня→フリヴニャ、フリブニャ
参考1.参考文献、参考リンク集
中澤英彦著「キーウにおけるウクライナ語の現状とノルマ」(『オスノーヴァ』、2003)
中澤英彦著「ニューエクスプレス ウクライナ語」(白水社、2009)
日野貴夫、I.ボンダレンコ共著「ウクライナ語のための日本語学習辞典/Українсько-Японський Японсько-Український Словник」(アリテルナティーヴィ、1998)
ザブランナ・オレスタ、豊福葉子共著「Японська в темах/話題!の日本語」(ВНТЛКласика、2006)
日本国外務省 ウクライナ 基本データ
http://www.mofa.go.jp/Mofaj/area/ukraine/data.html
在ウクライナ日本国大使館 ウクライナ 概況(基本データ)
http://www.ua.emb-japan.go.jp/J/About.Ukr/gaikan/1.2InfoUkr.htm
中澤英彦(東京外国語大学)
http://www.tufs.ac.jp/research/people/nakazawa_hidehiko.html
日野貴夫(天理大学)
http://www.tenri-u.ac.jp/teachers/dv457k00000020h9.html
阿部三樹夫(久留米大学)「ウクライナ地名の日本語表記について 」
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~abe/jaus5.html#C
(余談:発表後、ロシア語話者の多いХарківのウクライナ人先生が「わたしがウクライナ語習った時も、最後のвはウのように発音するのがきれいなウクライナ語だと習いました。中澤先生の表記が良いと思います」と言っておられた。東の地域の人にも関心を持ってもらえたのは嬉しい。)